私がカウンセラーを志した原点についてまとめていきたいと思います。
興味のある方が見てくださると嬉しいです。
小中学校時代
カウンセラーを志した原点を話す前に、私の生まれ育った場所の背景からお伝えしたいと思います。
私は岐阜県岐阜市に生まれ、高校まで暮らしていました。長良川と金華山が見え、自然は豊かな方でした。岐阜駅からは車で20分ほどで、商業施設が近くにあるわけではないですが、田舎すぎず、不便のない住宅地でした。
子どもの頃の遊びといえば、近所の同級生たちと集まって、ケイドロやポコペン、サッカー、野球などでした。またゲームはポケモンが登場した時代でもあり、熱中したこともありました。
今はどうかはわかりませんが、当時は小学校で1学年に2、3クラスあり、中学になると6、7クラスで、子どもの数もそれなりに多かった時代でした。
友人関係に恵まれていた私は仲間と過ごすことで、充実感をえていました。
仲間の中にはいろんな人がいました。成績がトップクラスの人、逆に成績不振の人(途中から支援級になった人も)、明るい人、静かな人、家庭が複雑な人、お金持ちの人、さまざまな背景を持つ友人と遊びを通して、つながっていました。思えばこの頃からすでに、一人一人の抱える事情になんとなく興味を持っていました。
高校時代
岐阜県内の進学校に進んだ私は、当初は新しい友人関係を作ることがなかなかできず、日々予習と復習をしないとついていけない勉強にうんざりしながら、大して楽しくもない学校生活に、嫌気がさしていました。
救いだったのは、高校から始めた卓球部で仲間ができたことでした。卓球部は週三日だけの活動で、部活がある三日間だけが楽しみでした(部活がない日にズル休みしたことも何度かありました)。
卓球自体も好きでしたが、何より仲間と過ごす時間が楽しく、部活の後にはコンビニに寄って、遅くまであれこれ話をしたものでした。
部活のメンバーとの仲が深まると、自然とお互いの考え方や価値観、家庭環境や宗教観に至るまで、いろんな話をしました。
当時、麻雀にハマっていた私たちは、しょっちゅう学校終わりに誰かの家に集まって、夜通し語りながら遊びました。
おかげで成績はどんどん下がっていきました。
3年生になり、いよいよ本格的に志望大学を考える必要がありました。
定期的に模試があり、適当な大学を書いて、B判定だのD判定だのを仲間と見せ合っていましたが、いまいちどんな大学なのか、学部の違いがなんなのか、そこを卒業したらどうなるのか、高校生の私は知識もイメージも持っていませんでした。
おそらく、私だけでなく、多くの高校生が同じではないでしょうか。
時期が来たから、「とりあえず」「なんとなく」進路を選択する。もちろん、大学に入ってから、いろんな経験を積んだ上で、将来を考えることも大事だと思います。しかし、高校の時から、自分の人生について考えたり、語ったりする機会があった方がいいと今は思います。
幸い私は、自分が将来どんなことをしたいのかを考える時間と、語り合える仲間に恵まれていました。
特に仲間と「なぜ」を持ち寄って、「なぜその大学?」「将来何をしたいか?」「どんな仕事をしたいか?」と、お互いの考えを掘り下げ合った時間は、受験勉強よりも濃密な体験だったと思います。
そしてそれらの時間を経て、当時の私が出した答えは「人と関わる仕事がしたい」というものでした。
「私がカウンセラーを志した理由」というタイトルで書き始めましたが、前置きが長くなってしまいました。一旦ここまでにし、改めて続きを書いていきます。
