私がカウンセラーを志した理由3

前回の続き
 心理士を目指すべく大学受験をしたのですが、当時父親の仕事は不安定で、家計に余裕はありませんでした。一方で、「お金を気にして、学びを諦めるな」という父親のスタンスがあったおかげで、不安や負い目を持つことなく、進学することができました。

 晴れて大学生になった私は、実家を離れ、愛知県の知多半島で寮生活をスタートしました。

「勢和寮」という自治寮

 私の大学生活の思い出は、ほとんどこの寮生活でできていると言っても言い過ぎではありません。ここでの生活がなければ、改めてカウンセラーを目指そうとしていなかったと思います。
 また私の人格形成の部分でも大きな影響を与えていたと思います。

 勢和寮という名前の寮は、男子寮女子寮合わせて200名近い学生が住んでいました。
 二人一部屋の8畳程度の狭い部屋には、二段ベッドが置かれ、テレビが一台、小さめの冷蔵庫や棚を置いて、ちょっとした私物(ギターや漫画や服など)があるような感じでした。
 4階建てで、各階には談話室があり、そこには共用のキッチンがあり、洗濯機が2機設置してありました。トイレも各階に共用のものがあり、風呂は一階に大浴場(5人入ったら脚が伸ばせないくらいの浴槽)がありました。
 自治寮なので、大学が管理運営するのではなく、自分たちが寮の自治を行います。寮母的な存在もいないので、身の回りの家事は自分たちで行うことはもちろん、全体の掃除や管理、寮の運営に関わる様々なことは、そこに住む学生自身で話し合い、決めていく必要がありました。

 寮の運営のためには、最低週2回の会議があり、寮の運営を代表する委員になれば、さらに会議が増え、その上の役員になれば、ほぼ毎日会議をする必要がありました。(しかも無償で)
 運営の会議では、例えば寮の財政に関すること、寮の備品の管理や修繕に関すること、障害者の学生への配慮に関すること、寮の行事について、大学との交渉など、様々な分野に分かれて、話し合いました。今考えても、小さな社会がそこにあったと思います。

 普段の寮の運営に関わる会議に加え、3大行事なるものがあり、その行事も大体3か月かけて計画・準備・実行をしていく、大掛かりなもので、その実行委員になれば、さらに忙しくなるのでした。

 つまりこの勢和寮に住むということは、寮生という仕事をするようなもので、その仕事の傍ら、学生生活を送るようなものでした。
 もちろん、その仕事が苦痛に満ちたものではなく、多くの寮生にとっては、楽しさや、熱中できるものでもあり、部活やサークル活動のようなものであり、もっと言えば青春が詰まっているようなものでした。
 中にはその独特な空間や繋がりが合わず、出ていく人も少なからずいましたが、不思議な魅力がその場にはあり、多くの人の居場所になっていたように思います。

寮に住む人々

 日本福祉大学なので、多くの学生が福祉に興味を持ち、対人援助職を目指す人が集まる場所でした。
 そして、寮という特性上、財政的に余裕がない人も少なからずいましたし(寮費は月6000円・水道代なし!)、全国各地(北は北海道、南は沖縄まで。外国人もチラホラ)から様々な背景がある学生が集まっていました。中には、車椅子の学生や、耳が聞こえない学生など様々な障害を持つ人もいました。

 勢和寮がある知多半島には、大学生が楽しめるような娯楽施設はなく、ほとんど毎日、そこにいる人で酒を飲み、語り合うことが日常でした。

 文字通り、同じ釜の飯を食べ、裸の付き合いをし、共有する時間も長く濃密な付き合いをしていく中で、必然的にお互いのことをよく知る間柄になりました。
 その関係は20年近く経った今でも続いています。

 私の同期は、生まれつき脳性麻痺で歩くことができず、車椅子で生活しています。身体障害者の人を見ることはあっても、その人がどんな生活をしているのかは、今まで考えたことも、想像したこともありませんでした。
 しかし寮生活で一緒になり、例えば風呂にどう入るのか、どんな手助けが必要で、どこまでできるのか、そんなことを知れたのも、ここでの生活があったからです。
 何より語り合う中で、これまでの人生や、それこそ障害があったことでの苦労や、培ってきた信念に触れ、心動かされることが何度もありました。

 児童養護施設出身の後輩もいました。本人は自分を卑下したり、逆に相手を見下したりするような発言をしていましたが、本質のところに優しさを持っていました。そんな劣等感の塊の後輩との関わりも、私にとっては大事な時間であったし、彼の生きてきた経験を教えてもらったことは、私の価値観を広げてくれました。

 他にも、家族に障害者がおり、自分の役割に葛藤え、それを打ち明けてくれた人や、親を亡くし、苦労してきたが多くを語らない人、自分自身が発達障害を持ち生きづらさを抱えている人、など、語り尽くせないくらいの出会いがそこにありました。
 一人一人に人生史があり、物語があるということを、身をもって体験できたことは、私の財産です。

改めて、カウンセラーになりたい。

 勢和寮で濃密な時間と人間関係の中で、過ごしていた私も、気づけば4年生になっていました。
 多くの福祉大生は、一般企業への就職と違って、就職活動は比較的遅めです。しかし、それと比べても、私の進路への動きだしは、遅すぎました。
 大学4年の夏頃に、就活の真似事をしてみましたが、どんな就職説明会に出向いてもしっくりくることはなく、改めて何がしたいのかと、じっくり考えました。
 寮生という仕事にどっぷり浸かっていた私は、それ以外を楽しめるのかと思うほどでした。
 しかし、寮生活の大事な要素はやはり、人との関わりであり、それを仕事の核にしたいんだなと、すぐに結論を出すことができました。

 改めて、カウンセラーになりたい。3年越しに再確認した私は、そこでようやく、大学院進学に向けて、動き出す決心をしました。

 しかし、寮のことばかりを夢中にやってきた私は、大学で全く学んでおらず、ゼミもいい加減に参加し、卒論もまともに取り組んでいませんでした。そんな私に、大学院などいけるものなのかという不安を抱きました。

 幸いにも、当時、寮生の一人に大学院生の先輩がおり、大学院というものはどういうところなのか、研究計画とは何か、様々なことを教えてもらうことができ、ギリギリ諦めずに済みました。
 スタートも遅く、これまで遊んできたツケもあり、案の定、ストレートで大学院に入ることはできませんでしたが、1年の浪人の末、大学院に入ることができました。

 当時の私は、心理学や統計など知識のところは全く自信を持っていませんでした。しかし、寮生活という濃密な人間関係の中での体験は、人と関わるということに関しての自信になりました。あるいは人は人を支えられるという確信というか、根拠のない自信を持っていたと思います。
 そのような中で大学院の生活をがスタートしました。

続く

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